OB INTERVIEW
あのバスケを最初からやってみたい
ー綿貫瞬氏インタビュー

──2012年のbjリーグのドラフトで、大阪エヴェッサから1位指名を受けました。当時のエヴェッサには、どんな印象を持っていましたか
3連覇のイメージしか、なかったですね。でもチームがどうこうより前に、僕は横浜出身であのとき初めて関西で暮すことになったので、大阪の街は怖いんじゃないかという印象でした(笑)。
──入団が決まってチームに合流した時点で、ゾラン・クレコビッチ ヘッドコーチ(HC)はまだ来日していませんでしたか
セルビア代表のコーチが来るとは聞いていましたが、まだ来ていなかったですね。外国籍選手も、まだでした。
──自身が最初に合流した際、チームにどんな印象を持ちましたか
我が強い人が多いんだなと思いました。そういうメンバーが、揃っていたんですよね。タケ(竹田智史)さん、タイゾー(川辺泰三)さん、ブチ(小淵雅)さん、タチ(橘佳宏)さん、高田(秀一)さん、ショータ(今野翔太)さん、それとタクヤ(橋本拓哉)か。HCが来ていないせいもあってか、最初はチーム感はなかったですね。でも僕はすんなりと、チームに入れた感じがありました。
──このシーズンはロスターが多く替わったので、チーム感が感じられなかったのは、そのせいかもしれません。一体感みたいなものは、シーズン開幕が近付くうちに出てくるだろうと感じていましたか
いえ。これは、まとまらんやろなと感じていましたね(笑)。僕はエリート街道ではなく地道にやってきたせいか、そのチームがどうなるかが、雰囲気でなんとなくわかるですよ。
──やがてHC、外国籍選手がチームに合流します。全員が揃って、チームの雰囲気などはどう感じていましたか
正直、大丈夫かという感じでしたね。外国籍選手はみんな、日本でプレーするのが初めて。HCがやろうとする戦術や練習メニューも、よくわからなかった。最初はコートでの練習もあまりなくて、僕らはひたすら外を走らされていたんですよ。それもあって「HCはbjリーグを舐めていないか」とか、みんなの不満がすごかったですね。僕はbjでは1年目でHCに相手にされていなかったので、そんなに不満とかはなかったのですが、みんなは長年やっていましたからね。誰もHCについていかない感じでした。
──ルーキーでもあったし、いちばん冷静に状況を見てたのかもしれませんね
めちゃくちゃ、冷静に見てたと思います。でも僕は負けず嫌いだし、このチームで試合に出たいとずっと思っていたので、チャンスがあったらとつねに考えていました。でもHCと選手の間の溝は埋まるどころか、深まるばかりでしたね。HCが教えている後で、HCに見えないようにフザけている人もいました。「絶対に上手くいかないよ」とか「マジつまんねえ」とか、選手の愚痴がすごかったですね。冷静なブチさんでさえ「これ、やばいよね。絶対に勝てないね」って、ぼそっと言っちゃったくらいでしたから。
──指導力不足なのか、コミュニケーション不足なのか
あのときのエヴェッサのメンバーに、ヨーロッパのバスケットが合っていなかったですね。最初は戦術もホーンセットという、ガードが戻ってきてセンターふたりを使うプレーしかなかったんです。速攻も出しちゃダメで、ひたすらそのプレーだけ。当時はタケさんやショータさんもそうでしたが、みんなが走って点を取るスタイルだったんです。だけど、それが一切ない。ブチさんとセンターのフォーメーションしかないんです。
──9月に滋賀で行われたプレシーズンゲームのカップ戦に参加し、3戦全敗でした
どの試合もたしか、20~30点差くらいで負けたんですよね。選手の間には「やっぱ、そうだよな」みたいな空気が漂っていました。
──日本人選手と外国籍選手の関係性は、いかがでしたか
外国籍選手は「オレはゾランのバスケットを知っているんだぞ」みたいな雰囲気で来ていて、ちょっと偉そうな感じだったんですよ。でもプレーすると下手で……。そのギャップは、すごかったですね。練習中に日本人選手と外国籍選手の間でケンカになることもよくありましたし、最終的にはお互いに、なにも話さないようになりました。
──シーズンが始まる前から、コミュニケーションが崩壊していた
崩壊していました。このままだと早々にチームが壊れるのは目に見えていたし、何試合か見てダメだったらHCを切るという話も聞こえてきていました。
──実際に開幕4連敗を喫したところで、クレコビッチHCは解任されました
その前に僕の話になってしまいますが、僕は滋賀であったカップ戦で結果を残したんですよ。そうしたら開幕戦に2試合とも出られて、そこから20分くらい試合に出るようになったんです。僕としてはbjではルーキーだけど、HCに認めさせた。ここから登っていくぞと思っていたら、HCが解任になったんですよ。ルーキーだし、自分はこれからどうなるんだろうと、不安な気持ちは多少ありました。
──クレコビッチHCの後任はプロの指導経験がない、当時のチームマネージャーが務めることになりました。
ただただ、びっくりしましたよ。でもそのタイミングで、外国籍選手が入れ替えになったんです。それで最初にリック(・リカート/前京都)が来て、彼のおかげで試合に勝てたんですよね。「リック、すげえな」となって、勝ったこともあり、チームがまとまりそうになりました。それから11月になって、マイク(・ベル/前季もエヴェッサに在籍)が復帰してきたんですよね。
──そのころからチームは、勝てるんじゃないかとのムードになったのでは
そんな雰囲気はありましたけど……、無理だろうなと感じていました。やっているバスケットは天日さんのマネで深みがなかったし、練習もただやっているだけみたいな感じでしたから。でも選手はみんな、勝てないけど頑張っていましたよ。チーム状態が良くないからこそ、なんとかしようと選手間の結束は高まっていましたね。
──それから年が明けて、1月にNBAのレジェンドであるビル・カートライトがヘッドコーチになりました。そこからチームは、ガラっと変わりましたね
ある日突然、クラブ事務所に選手全員が集められたんです。僕らは「なんだ、なんだ!?」と思って会議室で待っていたら、デカい黒人が入ってきて。僕もそうだったし日本人選手は、だれだかわからなかったんですよ。だけど外国籍選手は「ビル・カートライトだ」って、途端に色めきだって。そこから外国籍選手は一変しました。この人がHCをしているチームで、試合に出たいという気持ちが手に取るようにわかりましたから。練習から遊びがなくなりましたし、「そんなに変わるんだ」と僕も驚きました。
──ビル・カートライトの戦術や指導は、説得力のあるものでしたか
もう、説得力しかないんです。速攻の際の走り方とか、いろいろと言われましたが、試合でやると上手くいく。だから、納得できるんです。それにプレーのやり方も教え方も、すごくシンプル。トライアングルオフェンスを覚えることが最初の目的だったのですが、本当にシンプルだったので簡単でした。
──トライアングルオフェンスっていう、自分たちの形がやっとできた。それでなにをやっていくかが、ようやく定まった
本当に、そうだと思います。しかも、あのときのメンバーに合っていた。リックがいてマイクがいて、そのときは僕とショータさんが試合によく出ていましたが、そこにビルのやり方がすごくマッチしていたんですよ。コーチって、こんなに大事なんだと思いました。
──選手たちも自分たちのポテンシャルを再認識した。弱いんじゃなかったんだって
そうですね。ゾランは機械的なバスケットだったし、その次も上手くいかない。なにをやれば勝てるのかわからない状態で、チームは混乱していました。でもトライアングルオフェンスを教えてもらっただけで、こんなに変わるんだとみんな感じていましたね。
──外国籍選手も日本人選手も、それまでと試合に向かう意識が違ったのでは
全然違いました。とくにリックが違いましたね。リックはNBAを経験しているから、余計にビルのすごさをわかっていたんでしょう。戦い方についての発言が増えてきて、プレーでもすごく体を張るようになりました。マイクも最初はちょっとルーズでしたが、ビルが来てからは変わりましたね。真面目に戻ったじゃないけど、いろいろとコミュニケーションを取ってくれるようになりました。
──外国籍を除いて選手は替わっていないのに、前半と後半で全く別のチームになった
なりましたね。ビルの存在だけでこんなに変わるんだと、すごく思いました。後半戦は、めっちゃ楽しかったです。もうちょっと早く来てくれていれば、プレーオフに行けましたよね。前半はダメだったけど、後半は勝ちまくって10連勝もしましたから。
──ルーキーシーズンに、普通ではありえない経験をしました。今振り返るとあの2012-13は、どんなシーズンでしたか
いい経験になりましたよね。さっきも言いましたが、コーチでチームがこんなに変わるんだということを経験できたのが、いちばん大きなことでした。あのシーズンにいろんなことを経験したので、かなりの免疫がつきましたよ(笑)。それからはHCが替わったりしても全然動じなかったですし、適応力がついたかなと思います。今は京都ハンナリーズのユースチームでアシスタントコーチをしているので、あのシーズンの経験から選手たちに伝えられるものがたくさんある。大変なことも多かったですが、今振り返ると面白いシーズンでしたね。
──もう一度あのシーズンに戻れるなら、戻りたいと思いますか
ビルのバスケットを、シーズンの最初からやってみたい。あのバスケットをやって、どこまで行けるのかを確かめたいですね。
──シーズンの残りが短かかったから、あえてシンプルにしたのかもしれませんね。まだまだ、引き出しはあったのかも。
そうですよね。だからビルの引き出しのなかにあるほかのものも、自分のものにしたかったです。