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2012-13 漆黒の前半戦と、光の後半戦 色濃く表れたコントラスト



 

指揮官の交替にロスターの刷新
大きな改革を図るも……

2012-13シーズンを戦うにあたり、エヴェッサは大幅なチーム変革を行った。前季まで2季連続で指揮を執り、1季目に6年連続の有明行きを果たしながら、前季にそれを途絶えさせてしまったライアン・ブラックウェルが退任。彼に替わり、主に母国のクラブチームとクウェート代表監督も務めた、セルビア出身のゾラン・クレコビッチを新たなヘッドコーチ(HC)に招聘する。

選手も外国籍選手を全員入れ替え、ネイサン・ウォークアップら4人が新たに入団。彼らは全員、日本でプレーするのはこれが初めてだった。日本人選手も前季から残留したのは今野翔太、小淵雅、竹田智史の3名のみで、ドラフトで橋本拓哉、綿貫瞬を指名し、京都ハンナリーズからの移籍で川辺泰三ら計5人が加入。開幕時のロスターは12人中9人が新加入選手と、まったく新しいチームに生まれ変わったといっても過言ではない編成になった。しかしこれが、ほどなくして裏目に出てしまう。

外国籍選手の合流が遅れ、9月半ばまでチーム練習は走り込みが中心で、戦術練習ができなかった。開幕1ヶ月前の9月15日から滋賀県で3日間にわたって行われたプレシーズンのカップ戦は、ぶっつけ本番の状態で臨んで3連敗。この結果を受けて急ピッチで開幕までにチームを仕上げようと励んでいたが、事態は好転しない。

その大きな要因はクレコビッチHCと選手の間で、良好なコミュニケーションが図れなかったこと。クレコビッチHCの指示、指導は選手にとって具体性を欠くことが多く、指揮官が求めるものを理解できずに不満の声が漏れ始める。時間が経過しても改善されない状況が続き、クレコビッチHCの求心力は低下していく。

また来日時期が遅れたことも影響したのか、日本人選手と外国籍選手の間にある溝も一向に埋まらない。開幕前の練習では、プレーを巡って日本人選手と外国籍選手の間で諍いが起こることもあった。大事なシーズン開幕が直前に控えているのに、チームはバラバラの状態だったのだ。

それでも、開幕の日はやって来る。このシーズンのbjリーグは東西合わせて21チームと奇数だったため、エヴェッサはリーグ開幕戦の10月6・7日から1週遅れた10月13・14日に、シーズン初戦をホームに高松(現香川)ファイブアローズを迎えて戦った。リーグの開幕戦から1週間の猶予を得られた時間で、なんとかチームを戦える状態にしたいところだったが、その目論見もむなしく2連敗を喫し、翌週の滋賀レイクスターズ(現レイクス)とのアウェイゲームも連敗。滋賀との第1戦は橋本のプロデビュー戦となり、17歳11ヶ月で当時の最年少得点記録を打ち立てる明るいニュースもあったが それも霞んでしまうほど最悪のスタートになってしまった。

 

ヘッドコーチの交替、外国籍選手の
入れ替えを図るも、事態は好転せず

滋賀に連敗した翌日、衝撃的なリリースがクラブから流された。開幕からわずか4戦でクレコビッチHCとの契約を解除し、後任をクラブ生え抜きのスタッフで、マネージャーなどを務めていた古家孝生が務めるという内容のものだ。古家は歴代HCのもとでコーチングを学び、毎年渡米して現地でのコーチング研修に参加していた。とはいえトップレベルでの指導経験はなく、プロチームを率いた経験もない。そのような不安要素もあったが、クラブは彼に任せて巻き返しを図ると判断した。

HCのミスマッチもそうだが、新たに獲得した外国籍選手が機能していなかったことも、開幕からつまずいてしまった一因。それを改善するためにHCが交替するタイミングで、京都ハンナリーズで実績があるリック・リカートを獲得する。その後も大分ヒートデビルズ、仙台89ERSに在籍していたマイク・ベルに、日本でのプレーが初めてのドウェイン・レイサンを迎え入れて外国籍選手選手の入れ替えを行った。

それでもチーム状態は上向かず、前半戦は5勝19敗と大きく負け越す。このシーズンのホーム初勝利は開幕から4ヶ月後、1月12日に住吉スポーツセンターで行われた滋賀戦まで待たねばならない異常事態。チーム創設8シーズン目に、暗黒期が訪れてしまった。

このシーズンにキャプテンを務めていたのは入団6シーズン目で、チームで下から3番目に年齢が若い27歳の今野。その役割もあり、試合後にメディアと対応する機会も多くあった。普段は快活に対応する彼だが、黒星ばかりが積み重なるこの時期は伏し目がちで、探しながらなんとか言葉を発する痛々しい姿を見せていた。

 

NBAのレジェンドが降臨
チームはすべてが一変した

滋賀戦でのホーム初勝利から、10日足らず。開幕から暗闇をさまよい歩いていたチームに突如、強く、そしてまばゆいまでの光が差し込んだ。その光源は、マイケル・ジョーダンらとともにシカゴ・ブルズで黄金時代を築き、現役引退後はブルズでも指揮を執ったビル・カートライト。選手、コーチとして5度の優勝経験があるNBAのレジェンドが、エヴェッサの指揮官に就任することになったのだ。

NBAのビッグネームは早速、結果を残して見せた。来日してからわずか数回の練習しかできなかったにも関わらず、ホームの池田市五月山体育館で1月26・27日に行った、初陣となる宮崎シャイニングサンズ戦で2連勝を飾る。

カートライトHCが就任してから、すべてが一変した。戦術ももちろん、選手たちの意識もそうだ。このコーチの言うことを信用すれば間違いないと、チームにまとまりが生まれた。とくに外国籍選手は新たな指揮官のキャリアにより敏感で、それまでは自分たちでなんとかしようともがいていたのが、カートライトHCの前では上官に従う軍人のように従順になった。

太い柱が真ん中に打ち込まれたことで、チームは本来持つポテンシャルを発揮し始めた。後半戦には怒濤の10連勝を飾り、前半戦終了時には絶望視されていたプレイオフ進出に手がかかるまでに追い上げる。前半戦がウソだったかのようにチームのケミストリーは確立され、だれもが互いを信じ合い、そしてだれもが自分たちに自信を持っていた。それを植え付けたのは、やはりカートライトだった。
 

終盤まで怒濤の追い上げ
しかし、プレイオフ進出には届かず

3月9日のアウェイのライジング福岡戦で、今野が日本人選手最多得点歴代2位となる36得点を記録して勝利するなど、破竹の追い上げを見せていたエヴェッサだったが、前半戦に背負った借金は大きすぎた。シーズン最終盤まで残っていたプレイオフ進出の可能性が、4試合を残して断たれてしまった。

シーズンを通しては22勝30敗で、ウェスタンカンファレンス10チーム中7位に終わる。クラブ史上初めての負け越しを記録してしまったが、後半戦に限ると17勝11敗の好成績を収めた。漆黒の前半戦と、光に満ちあふれた後半戦。そのコントラストが、色濃く表れたシーズンだった。

このシーズンに在籍した選手たちは後年になって、「同じHC、同じメンバーで次のシーズンも勝負したかった」と異口同音に口にする。しかしそれは儚くも、かなわぬ願いとなってしまうのであった。